選手起用の圧力をかけられたことはない

▼代表キャリアについても話してほしい。イタリア代表デビューを果たしたのは94年11月のクロアチア戦だった。

D──キャリアの中でも最も自分を誇らしく感じた瞬間だね。私はイタリア人の両親の下に生まれ、イタリア国籍も持っていたから、手続き上は問題なかった。スイスで育った自分にイタリア代表としてプレーする資格があるのかと悩んだことはあったけど、それだけにデビューした瞬間は素晴らしいものになった。

▼でも、代表キャップは34と決して多くない。イングランドでプレーしていたことが原因で、代表から遠ざかることになった。

D──イタリアを離れる時点で、代表に選ばれるチャンスが減ることは分かっていたよ。実際にそうなった。当時、イタリア人はイタリアでプレーするものだった。なぜかは分からないが、国外でプレーすることは代表を去るのと同じ意味だった。

▼ロマン・アブラモヴィッチがチェルシーのオーナーになる前と後で、クラブにどんな変化があったと思う?

D──以前はもっと家庭的な雰囲気を持つクラブだった。前オーナーのケン・ベイツの時代は、個人的な繋がりがあった。彼は選手たちと仲が良く、そうすることを楽しんでもいた。クラブは今よりずっと小さかった。スタッフも少なく、その大半と個人的に親しくしていた。家庭的で良いクラブだったよ。カップウイナーズカップは獲得していたけど、ヨーロッパに出れば平均的な力しか持たないクラブだった。アブラモヴィッチが来てからチェルシーのレベルは上がった。国内でも海外でもね。ただ、家庭的な雰囲気はなくなってしまった。今のチェルシーは企業のように運営されている。

▼現役引退後には経営学の修士号を取った。学問を選んだ理由は?

D──サッカー選手だった間は何の勉強もしていなかったからさ。教育に熱心なスイスで育ったことが影響しているんだろう。私は勉強したり、新しいことを学ぶのが好きなんだ。ロンドンで経営学を学ぶのはとても楽しかった。朝から晩まで勉強漬けの毎日は大変だったけどね。

▼そして君は監督としてサッカーの世界に戻ってきた。最初のクラブはMKドンズ。3部リーグのチームを率いることに問題はなかった?

D──なかったね。リーグのレベルは決して高くなかったけど、ホームゲームには平均1万人を超える熱狂的かつサッカーが好きでたまらない人々が集まる。会長もその奥さんも素晴らしい人だった。スタジアムも良い雰囲気でね。ミルトン・キーンズがこれまた素敵な街だったんだよ。最初に監督をやったクラブがあそこで本当に良かったと思う。

▼ウエスト・ブロム時代はどうだった? プレミアリーグで初めて指揮を執る監督が、降格圏より上にいて解任されたことに不満はなかった?

D──長くこの世界にいるから、何があっても驚きはしないよ。クラブは正しいと思って決断を下した。あの時に思うことは色々あったけど、あそこで解任されていなかったら、今、自分が成し遂げたことはなかっただろう。

▼そしてチェルシーに指導者として戻って来た。アンドレ・ヴィラス・ボアスのアシスタントコーチというのが君の肩書だった。ヴィラス・ボアスは古株選手に追い出されたと言われているけど……。

D──それは正しくない。変化が必要だとフロントが感じたのさ。でも、私は当時のコーチングスタッフの一員だったわけで、コメントするのは難しいよ。

▼そして2012年3月に君はチェルシーを任せられた。その数カ月後にチャンピオンズリーグを制するんだけど、最大のポイントは準決勝でバルセロナに競り勝ったことだろう。ペップ・グアルディオラは、敗れた直後に君に何と言ったのかな?

D──我々のゲームプランを褒めてくれたよ。あの時に使えた選手のために、完璧なゲームプランを作った。それがうまく行って勝つことができた。そのことにペップは敬意を払ってくれたんだ。

▼ミュンヘンでの決勝、相手はバイエルン。最後はPK戦で決着がついた。試合終了後のセレモニーで、君はアブラモヴィッチの頭を抱えて何かを言っていたよね。何を言ったか覚えている?

D──覚えているよ。「我々は成し遂げたぞ!」と何度も繰り返した。ロマンはすごく幸せそうだった。

▼アブラモヴィッチから「フェルナンド・トーレスを使え」と指示されたことは?

D──ないよ。トーレスに限らず、誰を使えとか使うなとかいう圧力をかけられたことはない。

▼選手の時と監督の時、どちらのチェルシーが楽しかった?

D──選手として味わう感情は何にも代えがたい。得点を決める、失点を防ぐ、アシストをする……ピッチにいればそのすべてが可能だ。でも、監督は違う。戦術を決めて選手たちの足と頭に伝えるのが仕事だ。私はチェルシーで選手としても監督としても素晴らしい時間を過ごした。周囲の人たちやファンとの結びつきは特別だった。成功を楽しんでいたよ。それでも、やはり選手時代のほうが楽しかったね。これは不本意な形で現役生活に幕を引いたのが影響しているんだろうか。

▼最後に教えてほしいんだけど、次は何をするつもり?

D──特にこだわりはないんだ。これからどうなるか、正直に言って分からない。私は英語、イタリア語、ドイツ語が話せて、他の言語も少しは分かるから、仕事の選択肢は多いと思う。今は休暇を楽しむことにするよ。仕事を始めたら、ものすごく熱心に働くタイプだからね。


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Roberto DI MATTEO
ロベルト・ディ・マッテオ

1970年5月29日生まれ。96年から2002年までチェルシーに在籍し、公式戦通算175試合出場26得点を記録した。
チェルシーでコーチ業を始め、11-12シーズン、暫定監督としてチャンピオンズリーグとFAカップの2冠を達成するも、翌シーズン序盤に解任された。

インタビュー=アンディ・ミッテン
写真=リカルド・キャノン、ゲッティ イメージズ

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