我々のスタイルを多くの人が好んだ
「家庭的な雰囲気を持つクラブ」というケン・ベイツ旧体制のチームの雰囲気を表すゴールパフォーマンス
▼チェルシーに加入したのが96年。君はプレミアリーグのデビュー戦でゴールを決めた。あの素晴らしいゴールパフォーマンスを振り返ってもらえるかな。
D──僕はFWではないし、得点できるとは思っていなかった。当然、ゴールパフォーマンスを事前に考えていたわけじゃない。でも、新しいクラブでの挑戦をゴールでスタートできるという喜びで、思わず出たパフォーマンスだ。あんな形でシーズンが始まるなんて、素晴らしいことさ。
▼ジャンルーカ・ヴィアッリ、ジャンフランコ・ゾラ、そして君。3人のイタリア人を擁したチェルシーは、キック&ラッシュ一辺倒だったイングランドサッカーに新たな風を吹き込んだ。当時は「イタリア旋風」なんて呼ばれたよね。
D── 僕たちの存在がイングランドサッカーの成長に役立ったと言ってくれる人もいる。光栄には思うけど、本当にそうだったかどうか、僕には確信が持てないな。でも、チェルシーがそれまでのイングランドにはなかったプレースタイルのチームであったことと、多くの人がそれを愛してくれたのは事実だね。
▼ところで、デニス・ワイズはみんなが言うように変人だった?
D──ワイジーは良い意味でクレイジーだったね。一緒にいた時間も長いし、素晴らしい友人だよ。それに、優れたキャプテンだった。チームの全員を大切にして、誰に対してもフェアだった。クレイジーだったのは試合中だ。対戦相手に90分間ずっと話しかけて、相手をやり込める。ニッキー・バットがそれで退場になったのを覚えているよ。味方なら頼もしいけど、敵に回したくはないね(笑)。
▼ラツィオで一緒だったポール・ガスコインは?
D──ガッザも普通じゃなかった。将来、深刻な問題を引き起こすだろうと分かる類のものだったね。ロッカールームではいつも上機嫌で、サッカーもイタズラも楽しくて仕方がないという感じだった。スパイクを脱いで靴を履いたら、中に歯磨き粉がぎっしり詰まっている。車に乗ろうとしたらタイヤがパンクしている。でも怒るわけにはいかない。ガッザはそれで大笑いしているんだから。
▼次に、君の選手生命を奪ったケガの話について聞かせてほしい。00年のザンクト・ガレン戦で君は足を骨折し、それが結局はキャリアの致命傷となった。
D──あれはUEFAカップの試合だった。すぐに骨折だと分かったけど、2度とプレーできなくなるようなケガだとは思わなかったよ。サッカー選手にはしばしば起きることだからね。問題は骨折ではなく、それに伴う合併症だった。ケガから4日後、僕は事態の深刻さを知ったんだ。
▼どういうこと?
D──ドクターは僕にこう言ったんだ。「あなたが普通の生活に戻れるように全力を尽くします。つまり、普通に歩けるようにということです。サッカー選手として復帰できるかどうかは、それから考えましょう」とね。あれはショックだったな。
▼合併症とは具体的にどんなものだった?
D──ドクターの説明を聞いて青ざめたよ。骨折は3カ所あって、コンパートメント症候群になっていた。内出血により筋肉内部の圧力が高まって、減圧しないと筋組織が破壊されてしまうんだ。まずは出血の原因になっている血管を探すための手術が必要だった。他にも感染症を併発していた。これから何カ月も大変な日々が待っているんだと覚悟したよ。「4日前まではプロサッカー選手だったのに、今じゃ一生障害を抱えるかもしれない状態だ」と絶望したのを覚えている。
▼その時点で引退を覚悟した?
D──ケガをした時はまだ30歳だった。何とか復帰しようと思っていたよ。必死に頑張ったけど、ピッチに戻ることはできなかった。ザンクト・ガレンはスイスのチームで、僕がプレーしたアーラウの宿敵なんだ。因縁めいたものを感じたよ。あのケガがなければ、あと数年はプレーを続けられたはずなんだけどね。
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