トップレベルの選手に触れられることは貴重な経験だった
ユース育ちのテリーは、サポーターにとってキャプテンであり、尊敬の対象であり、息子でもある
▼チェルシーに入団した頃のことを聞かせてもらえるかな。初めてチェルシーの練習に参加した当時のことを覚えている?
テリー(以下T)──かなり昔のことだけど、はっきりと覚えているよ。チェルシーの一員になったということで、すごく緊張していた。でも、同年代の選手とは学校の試合で何度か対戦して顔見知りだったから、その点では気が楽だったな。一番最初にやったのは、その1年間の仕事の振り分けだった。僕はファーストチームのロッカールームの掃除、試合日に使った用具の整理、それから何人かの選手のスパイク掃除をすることになった。
▼スパイク掃除はどの選手の担当だった?
T──デニス・ワイズ、デイヴ・リー、エディー・ニュートンだったよ。
▼君はユースチームからトップチームまで異例のスピードで駆け上がったそうだね。成功の秘訣は何だったんだろうか?
T── 努力を続けることに尽きるね。14歳とか15歳の頃は、学校が休みになれば自分より年上の選手が所属するユースチームの練習に参加させてもらっていた。それが終わると、トップチームの選手がやっている居残り練習に加えてもらった。ジャンルーカ・ヴィアッリやジョディー・モリス、マイケル・デュベリーがいたね。ロングパスを蹴り合っていたんだけど、コーチに左足で蹴るよう指示されて、とんでもない方向にボールを飛ばしてしまったのを覚えているよ。トップチームの選手と一緒の時に、変なミスはできない。ドキドキしながら、それでも一つひとつのキックをすごく丁寧にやっていたよ。あの経験がなかったら、左足のキックの精度はヤバかっただろうね(笑)。
▼ユースチームにいた頃は何を目標にしていた?
T──まずはリザーブチームに昇格することだった。僕らはリザーブチームの試合のボールボーイだった。ボールがグラウンドの外に飛んでいくと、それを取りに行かなきゃならない。モタモタしていると、外にいる子供がボールを持ち逃げしてしまう。ボールが足りないとコーチに怒られるから必死だったよ。でも、トップレベルの選手に触れることができるのは、まだ何者でもなかった僕にとって貴重な経験だった。そういうこともフットボール教育の一環だと思うんだ。だから僕は今でも、リザーブチームやユースの様子を見に行くし、可能な限り試合にも足を運ぶようにしている。
▼チェルシーのトップチームで試合に出始めた頃のことを覚えている?
T──試合前のことからすごく印象に残っているのは、FAカップのオールダム戦だ。ヴィアッリ監督が試合前日のフォーメーション練習に僕を入れてくれた。そして練習の後に、コーチだったグレアム・リックスが教えてくれたんだ。「明日は右サイドバックで先発出場だぞ」ってね。その前にセンターバックや中盤の底で途中出場していたから、「本当に右サイドバックなのか! ?」と思ったけど、結局、右サイドバックとして初スタメンを飾ったんだ。
▼背番号26はジャンフランコ・ゾラを意識して選んだもの、という話は本当なの?
T──それは間違いだ。フランコ(ゾラ)は25番だったんだから。
▼ゾラに続く選手になりたいという意味で、26番を選んだというエピソードがあるよ。
T──フランコを尊敬していたけど、それは違うよ(笑)。僕が初めてファーストチームに入った時に、空いている番号が26しかなかったのさ。だから26を選ぶしかなかった。レギュラーになってから背番号5とか6を勧められたこともあったけど、26番はラッキーナンバーだと断ったんだ。それ以来、ずっと背番号26なんだよ。
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