野心を持ち続ける達人

モウリーニョが監督キャリアを歩み始めてから13年が経過した。ユースチームの指導者として経験を積んだ後、ボビー・ロブソンの下で働き、監督として独立したのが2000年のこと。わずかな期間だけベンフィカを率いた後、ウニオン・レイリアで結果を出したことでポルトを率いるチャンスが舞い込んできた。ポルトで一躍名を広め、チェルシーでその評価を確立させた。そしてインテルとレアル・マドリーで、彼は世界一の監督への階段を駆け上った。

自身の監督キャリアについて、「一歩ずつ進んできただけだよ」とモウリーニョは振り返る。「すべて成り行きなんだ。大学を出て子供たちにサッカーを教え始めた。そしてポルトガルでアシスタントを務め、より大きな仕事をするために国外に移り、監督として祖国に戻った。数年後、イングランドに渡る機会を得て、それからイタリア、スペインと歩いてきた。いつだって次の一歩が用意されていた。そうやって私は徐々に経験を積んでいったんだ」

モウリーニョは、若くしてほぼすべてを成し遂げた。そういった意味では、故シド・ワデルの名言に似ているかもしれない。ダーツのチャンピオンであるエリック・ブリストウとアレキサンダー大王を比較した名実況だ。ワデルは、若くしてダーツ界を席巻したブリストウについて、深刻そうな口調でこう言った。「アレキサンダー大王は33歳の時、これ以上征服する国がないと涙を流した。しかしブリストウはまだ27歳だぞ!」

アレキサンダー大王との比較はともかく、ブリストウと比べられるのをモウリーニョは嫌うかもしれない。しかし比較自体は正当なものだ。自ら認めるとおり、モウリーニョは50歳にして征服すべき地をなくし、新しい目標を探さなければならなかった。だからこそ、彼はチェルシーに戻って来た。この男は、自分の物語や運命を自分自身でコントロールし、興味のある未来を自らの手で切り開く。

「やりたいことはすべてやってきた。欲しいタイトルは手にしてきた。興味のある国に行き、そこで働いて成果を上げた。興味を持っていたクラブからオファーをもらい、求められたタイトルはある程度は獲得してきた」

いずれすべてを刈り尽くし、目標を見いだせなくなるのでは? その仕事ぶりを見る限り、彼は野心なしには物事を続けられないタイプの人間だろう。「私は今でも野心家だが、その野心は変わりつつある」と彼は言った。「制するべき新しいリーグがない。すべて制してきたからね。だから今は、すでに制したことのあるリーグで再び頂点を目指したいんだ」

幸いにも、その野心を満たす条件は揃っている。チェルシーに帰還したモウリーニョは新しいモウリーニョだ。本人いわく「落ち着きが増した」。経験を積むことで監督として成長した。インテルとレアル・マドリーでの経験が血となり肉となったのだ。そして間違いなく、今までより自信を深めている。

「以前よりも良い監督になっていると思う」と彼は言う。「私が身を置いてきたリーグはすべて世界が違う。サッカー文化、メディアの在り方、そしてファンも違う。自分のアイデンティティーやスタイルは変わらないが、様々な状況に対応する術を学んだ。そうやって成長してきたんだ。経験は重要だ。選手は年齢を重ねることが問題になるが、監督は違うからね」

しかし、わざわざ慣れ親しみ、成功を手にした場所を離れる必要はどこにあったのだろうか。困難に挑みたかったから? それとも新しい文化を体験したかったから?

「毎年同じリーグで働いていれば心配はない。あまり深く考えずに済むだろうね。他の国に渡るというのは、自分の快適な場所を離れるということだ。チェルシーへの復帰は別として、私は新しいクラブと契約するたびに、何も知らない場所に身を投じてきた。テレビで何度か見ただけの場所に足を踏み入れ、そこに居を構える。新天地ではどんな気質やどんな文化が待っているか分からない。だから気を抜くことができないんだ。監督としてやらなければならないことは多い。相手チームのことを学び、自分の選手たちの精神状態を探り、結果を残すための最善策を模索する。好きな戦術があっても、自分が望むスタイルを強要することはできない。タイトル獲得のためには、そのチーム、その選手たちに適したシステムで戦わないといけない。だが、その経験が大きな財産になる」

その生き方がモウリーニョに合っていたのだろう。これまでの放浪癖は、時に忠誠心の欠如や長期政権へのためらい、長期的な展望の乏しさから来るものと思われたかもしれない。モウリーニョは「今日の栄光の象徴」である一方で、「明日の破滅をもたらす危険分子」に思われることもあった。だが本人の見解は違う。「私が旅をするのは、新たな挑戦を自分に課すとともに、常に新しいことを学びたいからなんだ」

実際には言わなかったが、その目はこう語ってもいた。「征服すべき新しい土地を探していたからだ」

「自分の周辺をコントロールできるようになれば、自分にとって快適な環境を作ることができる。だが私の場合、そのコントロールができるようになった時が、その場を去るタイミングなんだ。だから2年でイタリアを去り、3年でスペインを後にした。すべてが快適に思え、親しみが持てるようになれば、それは順応できた証拠だ。そしてその時こそ、新たなチャレンジに取り掛かるべき時なんだ」

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