周囲を陶酔させる達人
何かと世間の注目を集めるズラタン・イブラヒモヴィッチへの接し方は、モウリーニョの人心掌握術を知る上で貴重なサンプルとなる。2008年にインテルの監督に就任したモウリーニョは、クラブにとってはシーズンオフで、欧州選手権の期間中にもかかわらず、まだ会ったことのないイブラヒモヴィッチに携帯メールを送り、コミュニケーションを取った。単純な行為ではあるが、イブラヒモヴィッチのような自尊心の強い選手には大いに有効だった。
このエピソードについてモウリーニョに質問すると、「ズラタンに限らず、すべての選手にしているよ」という答えが返ってきた。「例えば5月に契約を結んだとしよう。実際に選手たちと会うのは7月、チーム始動のタイミングになる。その2カ月の間、私は監督ではあっても、彼らのことを何も知らない。知ろうと努力するのは当然だよ。まずは連絡を取ってみる。ユーロ期間中のズラタンの話にしても、すべての選手にやっていたことだ。実際に会う前に連絡を取ることは、大した努力じゃない」
イブラヒモヴィッチは自叙伝でモウリーニョとのメールでのやり取りがうれしかったと述べている。他にも、モウリーニョの言葉に感銘を受けたという。インテルのベテラン選手たちは、モウリーニョのドラマチックな言動に心を打たれ、情熱のこもった発言に闘志を燃やしたそうだ。
イブラヒモヴィッチの自叙伝にはこう記されている。「試合前、監督は俺たちの士気を高めてくれた。あれはまるで映画だったし、心理ゲームのようでもあった。ひどい出来の試合の映像を見せ、『こんなみじめな姿は我々ではない。これはインテルの劣化版であって、我々とは違う』と言う。『飢えたライオンとなって、戦士となってピッチに立て。最初の接触プレーからその姿を見せろ』と熱弁は続き、『そして次のプレーでも……』と言ったところで戦術ボードを蹴り飛ばす。俺たちはアドレナリンがみなぎり、猛獣のような気持ちでピッチに乗り込んだ。いつもこんな感じだった。この監督はすべてをチームに捧げていると感じたし、自分も彼のためにすべてを捧げよう思った」
世界広しと言えどもイブラヒモヴィッチほど複雑な気性の選手はいない。だがモウリーニョはいとも簡単に操ってみせた。それはポルト、チェルシー、インテル、レアル・マドリーでも同じことだった。だからこそ、チームの中心選手たちはモウリーニョを失った時に喪失感を覚えずにはいられないのだ。07年にモウリーニョがチェルシーを去った時、ドログバも退団を希望した。インテルでも、モウリーニョを失った後の選手たちは見る影もないほど調子を落とした。
モウリーニョには、周りの人を陶酔させ、自分のために火の中に飛び込ませてしまう特別な能力がある。それは唯一無二の能力だが、生まれつき彼に魅惑のオーラが備わっていたわけではないだろう。彼は独自の、彼一流のコミュニケーション術によって、その能力を発揮するのだ。
もっとも、モウリーニョにとっては至って普通のことらしい。「理由はどうあれ、どのチームにも必ず数名は通じ合えない選手がいるものだが、ほとんどの場合、私は選手と永遠の絆を築いているよ」。そう言うと、彼は秘密をあっさりと明かした。「彼らが私に忠誠を誓うように、私も彼らに忠誠を誓うんだ。関係性を築くには、正直に向き合うしかない。時には選手が求めていることをあえて伝えないこともあるが、基本的には誠実に接する。私は、私の下で成功しなかった選手とも良い関係を築いてきたつもりだ。それは誠実に、正直に向き合ってきたからだ。ほとんどの場合、監督と選手として築いた素晴らしい関係は今も維持できているよ」
モウリーニョはインテル時代の教え子であるマイコンと、彼がマンチェスター・シティに移籍してからも一緒に談笑していた。その様子を見れば、別々の道を選び、ライバル同士になってからも親交や友情が損われていないことが分かる。モウリーニョが選手たちから勝ち得た信頼は一生ものなのだ。これはモウリーニョと選手たちにとっては素晴らしい財産だが、それを素直に喜べない者もいる。例えばモウリーニョの後任監督にとって、選手と前任者との絆は悩みの種になる。
スタンフォード・ブリッジでは、そんな監督が何人も目撃されている。モウリーニョは最初の2年でプレミアリーグを連覇し、3年目にはFAカップを掲げた。だがクラブの首脳陣、特にロマン・アブラモヴィッチとは緊張状態にあり、07年9月にチェルシーを去ることになった。この時、選手とは固い絆で結ばれたままで、ドログバに至っては先述のとおり、モウリーニョを追い出したフロントへの不信感から一度は退団を直訴している。
昨年の夏、モウリーニョがチェルシーに復帰するまでに、彼のイスには7名の指揮官が腰を掛け、その大半はモウリーニョが選手たちと連絡を取り合っていることを快く思わなかった。モウリーニョの後釜に座り、モウリーニョ信奉者たちを率いるのは簡単なことではない。成功すればモウリーニョの遺産のおかげにされ、失敗すればモウリーニョ待望論がわき上がるのだ。後任監督は相手チームと戦いながら、モウリーニョの幻影とも対峙しなければならなかった。
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